〈ご報告〉離党しました
報道が先行してしまいましたが、令和4年10月31日に離党届を提出しました。
正式な通知がなかなか私の手元にこなかったので、遅くなりましたが思いを記させて頂きます。
今回離党に至った理由は大きく2つあります。
1 政治家になった目的を突き詰めていくため
私自身政治家を目指した理由がしっかりあります。
もっと長崎のために、県民市民の皆様のために動きたい、そういった立場になりたい気持ちは議員になってからも大きくなるばかりでした。
それには特定の政党支持層だけでなく幅広く、もっと多様な声に応えられるようにならねばならない。
新たなステージに立つことができるよう私自身前向きな決断です。
そして、それは何かになることが目的ではありません。
政治は手段です。
それを忘れず、自分の力を長崎のためにさらに注力させていきます。
2 参議院選挙総括を踏まえた次の展開
この夏の参議院選挙において、政党内外から様々なご意見を頂きました。
その反省を踏まえて、次の戦いに臨まなければ意味がありません。
今回野党が乱立した責任は交渉窓口に立った私にもございます。
それを次は違うようにスタンスを変えて立ち居振る舞いができるかと言えば私はできません。
私自身立憲民主党に来た理由は与党と対峙し切磋琢磨できる野党が必要であること、足の引っ張り合いではなく高めあう政治を愚直に求めていきたいからです。
しかし、その作り方はそれぞれの考え方で異なります。
それは私の政治信条に関わるところまできてしまいました。
次の衆議院選挙で勝つためには私の方針では政党に迷惑がかかると判断し、離党を決断致しました。
以上大きく2点が要因です。
誰かと揉めたとかそういったことではございません。
政党として拡大していくためには、私がいないほうがよいと判断したこと。
私自身も自分の政治信条を捻じ曲げてまで、居続けることはできないと判断したこと。
またなぜこの時期になったのかという問い合わせも多く頂きます。
8月に県連として参議院の総括を取りまとめました。そこからまた私も後援会や近しい人に今後の自分の立ち位置を相談してきました。同時に県連の役員幹事の在り方も考える委員会の立ち上げを行い、新しい体制移行を目指し、私自身はそこで身を引くつもりでおりました。
しかしながら、何度かトライしたのですが様々な要因によって上手く進まず、私の力不足でもあります。
時は経過し続け、様々な団体から推薦を頂く時期となりました。
私自身はもともと新しい体制ができるタイミングと考えていたのですが、県連代表は違う考えでした。
推薦頂く団体にも迷惑をかけないように早くすべきとの判断のもと、急速に物事は動くこととなりました。
説明が足りていないところもあります。
まだお話できていない方々もおります。
しかし、この判断に後悔はしておりませんし、そのまま選挙を戦い、当選後辞める方がはるかに仁義に反していると考えています。
厳しい道を選択しました。
保身で政治家をやっていません。
2015年初めて県議選に立候補して私は負けました。
そこからも様々勉強の機会を頂いたり、成長する機会を頂けたこと心から感謝をしております。
その恩義はこれからも持ち続けます。ご迷惑をおかけした皆様には心からお詫び申し上げます。
ただ、私が向き合うのは政党ではなく、長崎県民市民の皆様です。
それはどうしても譲れないのです。
だからこそ、これからさらに結果を残すべく全身全霊をかけて参ります。